「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」 1980年11月30日 (2−1) |
○内容の説明○ 「ぬかるみの世界」に、甲斐よしひろがゲストに出た日(1978年4月10日)のテープを交えて、鶴瓶と新野が1980年11月30日の放送で、過去を振り返っている。 |
(1978年) |
(1980年) |
(1978年) 鶴瓶 えー、あのー、今ね、えー、聴いてたんですが、あのー、この吟遊詩人の唄を聴いてて。で、これ、途中で(手拍子しながら)♪そうさおいらはー♪と言う、この会場であった時、先生は、これは何やと言う。 新野 手、叩きよる。 鶴瓶 うん。これは、誰が言うてんのんて言うのは、まあまあ、そう言うリアクションがあったんですが。これは僕もね、わかる。僕も、そんな、フォークのコンサートみたいなの、やってるけどね、そんなん、けーへんのよ。何て言うか、最後には、今はもう決まりきったように、アンコールあるけどね、(時々手拍子して話してます)ノッてね、先生、甲斐バンドはね、あのー、東京でね、会場あんまり貸さんのよ、今。何でや思う?(手拍子)ノッて、ワーッ前来るからや。もう、3曲ぐらい見せたら、もう、ダダパチでね、ダダパチでこう、ワーやんの。 新野 フォークグループにかいな。 鶴瓶 フォークフループって、甲斐バンドにこう。 新野 甲斐バンド、あ、本当。 甲斐 僕等は、まだこう、後ろの奴も絶対のせるようにするから、前の奴、何百人か立ったぐらいじゃない。1回やめて座らして、で、後ろの奴が見えてから、もう1回始めるからね。だから、俺達は、その、たとえば、すごいロックンロールやってるバンドよりもね、ずっとまだこう、余裕はあるけどね。 鶴瓶 僕はね。 甲斐 新聞に載りましたね。 鶴瓶 そうや。 甲斐 報知新聞に。 鶴瓶 甲斐くんがやね、こうやして来てやね、今、お話してるわけ。ロックの人でね。こうやって入れられてしもてもね、まだつっぱる子がおんねん。フォークでもなんでも、(声のトーンを下げて)”僕は別にあのー、何て言うかなー。” 新野 あー、それは俺もようある。あー、作り事のね、あるある。 鶴瓶 それがないねん。 新野 ない子やなあ。 鶴瓶 舌も出すし、こんな事言うて、自分のファンはどう感じるとかね、全然ファンやない子が嫌がらへんかって言うのも感じひんね。 新野 それは僕も、10何分、20何分会うただけやけども、それはわかるわ。 鶴瓶 白い子やねんな。 新野 あ、そやな。 鶴瓶 白紙の子。子って言うたからおかしいよ、同い年や。子って言い方、おかしいけども、そんな人やねんな。 新野 それは、自分ではやっぱり。 甲斐 いやー、あのー、僕等はね、いつも思ってなきゃいけないのは、ちょっと固い話になるけど、歌謡曲の奴らとは、まず一線を、違う所で生きてなきゃいけないと思うのね。ほら、歌って言うのは、歌謡曲だろうと、フォークだろうと、ロックだろうと、関係ないじゃない。聴く人にとっては。それは別に何とも思ってないのね。俺達が、ロックだとか、フォークだとか、歌謡曲とは違うとか、俺はそんなの別に思わないの。生き方があるでしょ、生き方が。やっぱり、歌謡曲って言うのは、どうしても最後はこう、あやつり的に。 鶴瓶 マスコミに乗って。 甲斐 そうそうそう。あの、あだ花的な所。でも、あれがいい所じゃない。反対に言えば、歌謡曲の。 鶴瓶 あれがいい所や。 甲斐 あれがいい所だと思う訳ね。一世風靡出来るのは、やっぱりあいつらだと思う訳。ある時期ね。あの、短い命だけども。で、俺達が、やっぱり、あのー、やらなくちゃいけない所ってのはさ、ああ言う、あだ花的な咲き方じゃなくてね、こう、ちゃんと自分達の考えを歌に出来る、自分たちの女の歌、酒の歌、生き方、生き様みたいなのを、全部歌に出来るのが、俺達の歌い方、やり方だと思う訳ね。だから、俺がいつも思うのは、その、あの、最初は、歌は下手でいいと思う訳よ。だんだん上手くなるのを、いつも見せてればいいと思う訳。聴いてくれる人が。だから、俺は、その、女に振られて、打ちひしがれた時とかね、あの、いろんな時に、まあ歌、作るけども、そう言う弱さも歌に出さなきゃプロじゃないと思う訳、俺は。だから、歌を作る時は、いつもそう思うね。 新野 まあ、僕はね。 甲斐 だから、さっき、あのー、いつも、ある女の子が、僕等のファンじゃない人の前でもね、ちょっと馬鹿げた事したりさ、するけど、あれはもう、あの、別にこう、格好つけるのはいらんと思う訳よ。自分が感じた通りの感情を、そのまま顔にいつも出る、出た方がね。俺は、その、ある意味で、プロ的だと思う訳よ。 鶴瓶 これ、イエスやね。それ、一番本音ついとるんちゃうん。 新野 言うとる。 鶴瓶 本音つきがあるね。 新野 やっぱり僕ね、このー、甲斐くんの若さね、僕はまあ、かなり歳はいってますけども、若さ、やっぱりいいと思うね。ただね、あのー、人間って変わって行くわなー。1年で変わって行くし。甲斐くんは、やがて30になるやろし、35、なるやろし、考え方も変わるやろし。その場合、40にもなるやろし、そう言う時に、今思ってる事はね、どうなって行くかと言う事を、僕等は考えてしまうな。 甲斐 あのね、いつでも丸くなれるのは、なれる訳じゃない。いつでもその、ある程度、決まったその箱の中に入れるのは、いつでも入れる訳ね。だから、たとえば、人間って言うのはさ、汚れて行くって言う事はさ、あの、汚れて行くって事だと思う訳。人間って言うのは、白紙の状態から。 鶴瓶 白からね、だんだん水色がかって、そんで、もう黄色になって、しょうゆ色になんのよ。 新野 ちゃうと思うけどなー。 鶴瓶 何で、ちゃうと思うの。 新野 俺なんか、汚れへん人やねん。わりと。 鶴瓶 いや、それはねー。 新野 悲しさもあんねん。普通は汚れていきよる。いや、俺は汚れる事は、決して悪いとは言わないで。僕は。色はつかん人もあんねん。 鶴瓶 いや、そう言う職種や。汚れんでもええ職種やんか。 新野 そう言う事や。 鶴瓶 そうやろ。作家って言うのは、汚れんでもええのや。 甲斐 でも、俺達は違うからね。 鶴瓶 そうそう。 甲斐 俺達は、その、自分たちの土俵ってのは、全部人に見られる土俵だからね。 新野 汚れると言う言葉を、ちょっと他のものに置き換えよう。つまり、音楽的に、高度になって行くわな。毎年やっとったら。ほんで、これで30になるわな。ほんで、やっぱり、もっと違うものになって行くわな。歌謡曲との対比でもの言うとんじゃないでしょ。そう言う時に、その、甲斐くんが今目指してるものはね、果たして、30なり35なった時にね、なおかつ持っていられるかどうか。そんな事は、全然考えてない? 甲斐 あのね、だから、それが全く違うの。俺はね、25になったばっかりなのね。俺は、20歳の時にプロになった訳。20歳の時にプロになって、どんな歌を作ってたかと言うと、20歳の歌を作ってた訳。俺、25じゃない。25の歌を作るしかないと思ってる訳、今年。30になったら30の歌、作ればいい訳じゃない。それをたださ、偽らなくちゃ作れる心境さえいつも持ってれば、俺はずっと歌って行けると思うのね。50になっても。 新野 それは、歌謡曲になっても、かまへんやろ、別に。 甲斐 いやいや・・(苦笑)。でもさ、歌謡曲はさ。 鶴瓶 だから、歌謡曲やないのよ、甲斐さんは。 新野 歌謡曲になったって、かまへんやん。 鶴瓶 だから、それはええ言うてるやろ。その、音楽はそれでええのよ。 甲斐 出来上がった曲が、それは歌謡曲ですねって言われても、俺は何ともないのよ。俺がさっきから言ってるのは、そうなのね、だから、生き方的にやっぱり違うじゃない。 新野 歌謡曲歌手と? 甲斐 奴らって言うのはさ、歌って演じるだけじゃない。俺達は、歌、作るもん、自分で。全く、一線違う訳じゃない。 新野 そら、違う。 鶴瓶 違うかなあ。 新野 歌謡曲の歌手だってね、そんなものは自分でね、作曲をするとか、そう言うのじゃなくて、やっぱり、1曲の中に、自分の全人生を込めてますやん。 甲斐 そう。確かに。だけどね、奴らは、自分の言葉で歌わないじゃない。俺は、自分の言葉で歌うよ。 新野 でも、その歌詞に、自分と言うものをはめ込んで。 甲斐 だからこれは、はめ込むってのは、演じる訳じゃない。すごい、嫌らしい言い方すれば、確かに、その、人が作った歌の中にも、自分の思い出とか、いろんな生き様みたいなのを照らし合わせて歌う事は出来るよ。でもそれは、全てパーフェクトじゃない。俺達は、パーフェクトだもん。何て言ったって、自分で作るんだから。 新野 そこにやられたものを、自分に演じると言う生き方と、そして、その自分の方にそれを持ってくると言う生き方ね。これはどっちがパーフェクトとか。 甲斐 違う違う。ちょっと待って。違うで。あのね、俺は、どっちの歌が最高とか言う言い方はしてない。 新野 俺はパーフェクトって言うのを聞いた。 甲斐 俺はパーフェクトって言うのは、自分の部分を出して、パーフェクトだって言ってるだけよ。俺は出しきるから。だって、違う。歌謡曲の奴が、出し切ってないんじゃなくて、あいつらは、やっぱり、もう、どっか、あだ花的なのはね、人が作ったものを。 新野 何で、歌謡曲歌手が、あだ花的やの。 鶴瓶 いやー、あだ花的やんか。 新野 美空ひばり見てみー。30年やっとんのやで。 甲斐 あだ花的じゃない。 新野 何で、あだ花的やの。 甲斐 すごい、最高だと思うよ、だから。 新野 え? 甲斐 あだ花的なのが、最高だと思うよ。 新野 悲しい酒と言う、あの歌の中にね、ひばりの全人生が入っとるやないか。 甲斐 だからね、それは、美空ひばりと言う、1人じゃない。やっぱり。 新野 いや、たとえばやねー、西田佐知子でもええしやね。 甲斐 西田佐知子はもういないもん。 新野 五木ひろしでも、森進一でも、いっぱいおるやん。奴ら、15年やっとるやん。 甲斐 だから、美空ひばりって言うのはさ、やっぱり確かに超越した所にいる訳よ。それはさ、みんなが続いて、そんなに何百人も何千人もいないじゃない。あれだけ今まで歌手が出てきた中で。でも、たとえば、フォークの奴って、これから全く違う、新しい人種だと思うのはね、あいつらは、長くは歌える人種だからね。俺も含めて言えば。 新野 フォークの奴は? 甲斐 うん。 新野 ほんな、フォークかて、随分、次から次へと消えて行っとるやんか。 甲斐 でも、絶対さ。 新野 たとえば、大上留利子のなんとか言うね。 鶴瓶 まあ、形変えて。 新野 形変えてまた、変わりーの、次から次へ変わっとる。その変換の仕方やで。歌謡曲の歌手も、たいして変わらへんと僕は思うけどね。そう言う意味では。 甲斐 いや、俺は違うと思うね。はっきりね。テレビに出ない生き方って言うのは、俺達は。 新野 それはかまわない。 甲斐 でもさ、それはさ、歌い続ける事じゃない。 新野 そんな事、関係ない。テレビに出る、出ん、ラジオに出る、出んとね、歌い続ける、続けんはね、そんなもん、関係ないわ。出んかてかまへん、別に。いや、歌謡曲の歌手とね。俺達とは違うと言うね、認識の仕方ね、俺はね、歌謡曲も、浪曲もね、歌手でええやんか。 鶴瓶 俺、一瞬、タバコ吸うててな、ちょっと聞き逃した所あんねんけども、ちょっと、まとめて。 甲斐 あのね、俺が言いたいのはね、歌がどう評価されようと関係ないって言ってる訳よ。それは、俺の作った歌が、歌謡曲って言われようと。でもね、どうして、たとえば、フォークの分野って言うのは、ある程度、市民権は得てね、歌謡曲の奴も、フォークっぽいタッチとか言うのを歌えるようになったかって言うのを、深く考えれば、わかるんじゃないかな。 新野 俺、そんな事ない。何で分けんの。みんな歌手でええじゃない。 甲斐 いや、違う。そうよ、確かにそうよ。 新野 歌謡曲の奴らとかね、その、フォークの連中とかね、何でそうやって分けて行くの。ほんで、歌謡曲を専門に歌うてる人がありーのね、そんで、フォーク専門に歌ってる人ありーのね、それぞれに、生き様が違うのやろ。みんな、それぞれに、操られてる、歌謡曲歌手もおれば、自分で、1枚1枚売って行く、歌謡曲歌手もおれば、いろいろあるやろがな。 甲斐 僕は、歌謡曲の人、全然悪く言ってないつもりなんですが。 新野 悪く言ってるって言うんじゃないよ。 鶴瓶 ちょっと待って。奴やって言う言い方はね。 新野 奴、言うてもかまへんわ。 鶴瓶 それはね、ちゃう。聞いてはる人がな、そんな思わはるかもわからん。俺が聞き手になったらやで。今、これ、入られへんから。奴って言う言い方はね、これは、先生、時間、気にしな。これ、ま、時間、関係あらへんやん。時間気にしな、こんなもん。時間気にしてたらやな、終わらへんで。曲、かけんでもええやんなー、甲斐くん。ちゃうか。あのな、奴やと言う言い方は、これは、この人の言い方やから、それはそんでええと、それだけちょっと俺、言わして。 新野 そんな事、かまへんねん。だから、歌謡曲と言うものはね、あだ花的であり、それがゆえに、素晴らしいという事も、彼は言うた。これは、かなり逆説的な意味が、ニュアンスがこもってるとは思うけれども。まあ、それはそれでええ。歌謡曲歌手と言うのは、その、あやつり人形的であると言う事を、彼はさかんに言うてる。これはね、あやつり人形的である、歌謡曲歌手もおるし、ね、そうじゃない歌謡曲歌手もおる訳や。 鶴瓶 でも、そうやない歌謡曲歌手はやな、出てこられへんやんか。 甲斐 そう、ぴしゃり。 新野 かまへんやん。 鶴瓶 あだ花にならへんやんか。 甲斐 違う違う違う。一線に出て来れないじゃない。続けられないじゃない。そう言う歌手は。 新野 ほんな、森進一、五木ひろし。 鶴瓶 あれは、あだ花的で、うまい事乗ってる訳よ。 新野 あだ花が、13年続くか?これ、やっぱり、その1曲1曲の中にね、彼はね、全自分の精神ね、全あらゆる人生、それ投入しとる。甲斐くんの生き方と、どう違うの。 甲斐 あのね、彼は確かに素晴らしいしね、歌もうまいかも知れん。ただ、やっぱりね、シンガーな訳よ。ものすごい、根本的にあの人達は。俺達は、シンガーって言う部分じゃない部分もたくさんある訳。 新野 どう言う部分? 甲斐 俺達は、作家でありさ、ちょっと偉そうな言い方すればね、自分で歌詞作るし、自分で歌作るし、で、シンガーの部分もある。で、もちろん、演奏もする。 鶴瓶 だから、言うたらやね、ええ作曲家、ええ作詞家に当たらな、あだ花は咲けへん訳や。 新野 探したらええやん。自分で一生懸命。ええ作詞、ええ作曲。 甲斐 そう言うもんじゃない。 新野 探したらええやないか。 |
甲斐 そしたら、世の中の人、全部売れるじゃない。 新野 それやったら、あなたの言うんやったらね、全部自分で作詞して作曲せんと、ミュージシャンじゃない訳? 甲斐 僕はそんな事言ってないでしょう。 鶴瓶 ちょっと待って。 甲斐 ちょっと、あのね、俺、そう言う比較はしてるけどね、どっちがいい悪いって言ってないよ。さっきから全然、1回も。 新野 だから、じわーっと言うのが、あなたの生き方かって言ってる訳。 甲斐 違う。僕はね、そう、だから、そう言ってる訳よ。 新野 そう言うひとつの、甲斐バンドの生き方やな。 甲斐 ・・・・・・・・・ それは、非常に難しいね。だって、俺だけは言ってんのは、歌謡曲と一線違うって言う所はそこだと、そこを意識して生きていかなければね、俺達の存在感もなくなると思うのね。だから、そう言う言い方をしてた訳、さっきから。 新野 ほな、歌謡曲歌手かてね、自分で曲作って、詞作ったらええやんか。 甲斐 そうよ。 新野 うん。 鶴瓶 それはできへんやんか。 甲斐 できんやない。 新野 できますがな。 甲斐 どうして? 新野 しようと思うたらできるがな。ただね、それをしたんではね、あのー、つまり、もっと大きなね、フレームを広げられへん訳や。 甲斐 じゃあさ、自分で作ってる奴ってのは、全く確かにフレームは広げてないって事ね。 新野 広げてないって言う事やな。で、知れてるわ。1人でその感じで作ると言う事は。 甲斐 そしたらね。 鶴瓶 ちょっと待って。 甲斐 ちょっと待って、ちょっと言わして。そしたらね、広いってのは飛躍に繋がるのね。狭いってのは、深さに繋がる訳よ、ある程度。そうでしょう。そしたら、歌謡曲の底は浅いって。 新野 広くて深かったらどうなの。 甲斐 それは、それが美空ひばりって言う言い方をする訳で。 新野 だから、五木ひろし。 鶴瓶 でも、美空ひばりを認めてる人間って言う言い方。 新野 島倉千代子でもええで。 鶴瓶 これはね、あだ花の咲き方がうまいのよ、ずーっと。だから、僕等狭い考え方やったらね。 新野 あ、あなた方が言うてんのはね、1年間にね、360人、その、デビューしてます、そのうち、生き残った、たとえば、石川さゆりだけやとか、山口百恵とか、そう言う事言うてる訳? 甲斐 俺、だんだん不愉快になってきた。 鶴瓶 ちょっと待って。 新野 そう言う事、言うてる訳? 鶴瓶 うちの家へな、友達がたとえば来よったと。うちの家でな、違う友達呼んでて、ホッと、中学時代の友達呼んでて、大学時代の友達呼んでて、その中学時代の友達と、大学時代の友達が、喧嘩し始めよったら、俺はどうなんの。 甲斐 (笑) 新野 喧嘩も何もせえへんのや。あのー、つまりな。 鶴瓶 ちょっと待って。先、曲行こう。1曲行こう。いっぺん行って、クッション置いて、ほんでこれ、言うとき。な。 新野 よっしゃ。 鶴瓶 俺、よう入らんわ、この中へ。 新野 そうか。別にこれな、あんまり言うても、狭い事やで。そら言うほどの事でもないねんけど。 甲斐 いや、でも、俺は言う事あるよ。 鶴瓶 僕等はね、全然関係ないやな。世界やねん。関係ないて言うのは、甲斐くんはな、自分の世界や。自分の世界をグっと言われたらやな、そら言わないかんとこやと思う。 新野 それはあると思う。 甲斐 何言ってもいいけどさ、歌行く前に一言言いたいのは、俺は確かに歌って4年目よ。美空ひばりは、30年も前から歌ってるかも知れんよ。で、俺が30年経った時、30年歌ってたらもし、どうする?じゃあって言う話があるじゃない。だから、長く歌ったら偉いのかって話はあるよね。だから、さっきからそれを言いたい訳よ。だから、まあ、美空ひばりが出ると、俺に対して例を言うけどさ、じゃあ、僕がさ、歌い出して4年目だったからと言う事もあるじゃない。キャリアも全然問題ないじゃない、そう言う場合は。 新野 あ、ほな答えよう。長く歌ったから偉いと言うんではありません。 甲斐 じゃなくてね、じゃあ30年生きたらどうなるかって、今、例を言ったじゃない。そういう俺には、どう言う言い方をするのかなと俺は思ってる訳よ。わかる?言ってる意味。 鶴瓶 今、意味わかる。 甲斐 俺が、4年しか歌ってないから、それは言えると思う訳ね、その人は俺に。 鶴瓶 それも。で、自分がまあ、知らんかったと言う。甲斐バンドと言うのは知ってたけども、知らんかったと言う頭もちょっとはあるわな。先生には。 新野 いや、それって。それより。 鶴瓶 ちょ、ちょ、ちょっと待って。歌、行って、まとめような。歌行ってる時に、ちょっと待ちや。歌行ってる時に、かかってる時にな、よくな、聴いてるふりして他の事考える所、あんねん。そんで、それしてな、俺は間に入られへんわいな。二人は他の事考えてるは、静かな沈黙が続いたらな、怖いがな。喋っといてな。 甲斐 ハハハ(笑)。 鶴瓶 それだけ頼むわ。ほんなら、ポップコーンをほおばって。ね。甲斐バンド。 新野 これは、甲斐バンドの作詞、作曲の歌。 甲斐 そう。 鶴瓶 そうや言うてるやろ!さっきから。 新野 わかった。 ♪「ポップコーンをほおばって」甲斐バンド |