若いこだま 1978年6月9日「短い歌の特集」 |
♪「昨日のように」(生唄) えー、こんばんわ、甲斐よしひろです。えー、今日は、NHKの楽器班と言う所から神田商会のギターを借りてやってます(笑)。 えー、今日は、あのー、特集をやります。えーっとね、いろんなハガキで、いろんなあのー特集をして下さいと言う感じで来てたんだけども、えー、今日は、短い歌ばっかりのやつをやろうと思ってます。大体2分以内で、えー終わるような曲ばっかりで、大体、短い部分の中で、言いたいことをポーンと言ってると。言う部分の曲ばっかり、えー、紹介しようと思ってます。 最初に、さっそく、そうですね、大瀧詠一の「いつも夢中」 ♪「いつも夢中」大瀧詠一 |
BGM♪「サイダー'73」 えー、気楽な感じで(笑)。つい、歌の出てくる感じで。これはー、ものすごくいい歌で、これを聴くと、あのー、夏だと言う感じが非常にしますね。えー、これはきっと、どっかのCMに使われてるんだろうけども、えー、非常に好きな歌です。まずは、大瀧詠一先生の曲で、この人は、かなり短い曲がたくさん多い人だと思うんだけども、えー、バック・・最初の曲は、「いつも夢中」。これは、バックに、キングトーンズを、あの偉大な、キングトーンズを使った曲で、かなり、えー、たぶんコマーシャルかなんかにも、えー、確か、なったと思うんだけども。夏の感じと言うのは、非常に僕はあのー、いろいろあるんだけども、あのー、とにかく夏って言うと、いつも色が変わって、えー、何て言うか、朝つゆ?つゆがポトっとしずくが落ちるような、あの、あじさいと朝顔が非常に僕は、大体、夏だと。えー、今の、そうね、30年代過ぎの、16、17ぐらいの子って言うのは、えー、その辺の雰囲気って言うのは、ちょっと郊外に出るとあるんだろうけども、僕等の頃って言うのは、特に、生まれた家が、俺は、すごい庭が、でっかい家だったので、朝顔が、起きると、ラジオ体操に行く前に、えー、朝顔のつるから、ポタンと花びらが、ポタンとしずくが落ちるのを見て、ラジオ体操にいつも行ったと言う、大体それが、僕の夏だなと言う感じなんですが。 えー、今日は短い曲なので、たくさんかけます。えー、どんどん行こうかと思うんですが、えー、とっても好きな、これも、ナッシュビルに行った時に、この1枚だけ日本人のLPを持って行って、いつもホテルで聴いてたんですが、その、桃井かおりのLPの中から、えー、”ワン・カオリ・モモイ”って言うのかな?え、そのA面の1曲目に入ってるやつを。「KAORI 1」 ♪「KAORI 1」桃井かおり |
短い曲って言うのは、あのー、本当に言いたい事だけワっと言う、非常に集約された部分があるので、とっても俺は、あのー、長く、非常にダラダラと続くよりは、ひとつの人生ってのをポーンと物語ってるような、こんな短い曲って言うのが、とっても素敵だと思ったりするんですが。 あの、チューリップの曲を。「TAKE OFF」 ♪「TAKE OFF」チューリップ |
フッフッフー(笑)。えー、短いですね。チューリップと言うのは、あのー、まあ、あまりこういう事は、ラジオで言っちゃいけないだろうけども、とってもすごいバンドなんですね。俺はすごいと思うの、これは。で、そうだなー、俺が高校の1年の頃に、あのー、レッツゴーフォークと言う、あるどっかの、福岡のね、テレビ局かなんかの主催の、えー、1ヶ月に1回、明治生命ホールと言う所であったのね。集いと言うか、そのフォークの。その時に、高校の1年。うん。の時に、いつもカバン下げて、えー、学校終わったらすぐ、バーっと行って、電車に乗って、見に行ってたコンサートがあって、それに、いつも出てたのが、チューリップと海援隊で。えー、海援隊って、まあ、準レギュラーって感じだったんだけども、その頃の海援隊ってのは、ジャックスばっかりやってて、ロックバンドでね。えーっと、5人ぐらいいたのか。それで、チューリップってのは、その頃はフォークバンドで。まあ、フォークバンドって言うか、いわゆる、アコースティックバンドで。えーっと、4人、うん。4人だったの。それで、すごい、とにかく初めて聴く、日本人のハーモニーバンドって言う感じで、あのね、レターメンよりすごいと思ってたから、本当。すごいハモってたのね。で、ただ、その、いわゆる、だんだん、だんだんチューリップがプロになって、でー、こう、すごいな、すげーなって感じで、いつもちゃんとお金を出して買ってて。えー、その頃に、財津和夫に、あの、高校の2年の終わりぐらいに、まだむこうはプロになってないのか。えー、サイン帳出して、サインを貰った事がありまして(笑)(机をバンっ!)財津和夫から、僕は、そう。思い出しました。サインを貰った事があります(笑)。それで、それでね、1ヶ月ぐらいして、なくしたのかなー、あれは。今考えると、すご、あの紙は、すごいなって気がして。僕はあのー、よくラジオで言うように、あの、ピンナップスアイドルとか、そういう壁に、アイドルの写真を貼ったり、ヒーローの写真を貼ったりする人じゃないので、滅多にサインなんか貰った事はないんだけども。って言うか、ほとんど無に等しい。あれはたぶん、初めてだったと思うんですが、えー、貰った事があります。ええ。今、あのー、この「TAKE OFF」って曲と、このLPを聴くと、すごいLPなんだけども、言いたい事って言うのは、まあ、いろいろやり方があるにせよ、ただ、日本語でやっぱり俺は言いたいなって言う部分が非常にあって、ただこの「TAKE OFF」って言う曲が非常に、曲が素晴らしいしね、メッセージしてるなーと言う感じが、僕はビシビシ来るので、まあ、かけたんですけども。ただ、やっぱり、日本語でやって欲しいと言う感じが、僕は非常に、ええ、時々、財津和夫に会うと、そう言う事を、ちらっとほのめかす事があるんですが。気がします。 えー、次にかけるやつは、これは昔、一番最初に東京で住んでた、住んだ街でして、僕は今でも電車にあまり乗れないんだけども、丸の内線だけは乗れると言う感じでこれを。拓郎、「高円寺」 ♪「高円寺」吉田拓郎 |
このー、頃って言うのは、ちょうど、うーんと、5年ぐらい前になんのかな。えー、甲斐バンドと言うのは大体、あのー、契約したのは俺1人で、プロの契約やって、で、本当はソロシンガーでデビューする感じだったんだけども、どうしても俺は、あの、バンド作りたくてね。それで、今のリードギター弾いてる、大森信和ってのは、エレキなんか弾いたことなかったのね、全然。それで、生ギターのリードギターはすごいうまかったと。で、その人を無理矢理もう、ただ、人間的に好きだから、エレキのリードギターを弾いてくれと。それで、ベースギターの長岡和弘ってのは、まあ一応、フォークバンドだったから、ウッドベースとかね、かるーい感じのエレキベースぐらいしか弾いた事がなくて、もう1人の松藤って言うのなんてのは、ピエロって言うバンドのリードギターをやってて、もう、タイコなんか1回も握った事がなくて、人間的に非常に通じるから、お前がやれと言う部分があったんだけども。やっぱりあのー、嫌々やってる部分ってのが、多少なりともあるとね、あのー、絶対長続きしないと思うのね。やっぱり、俺達の甲斐バンドって言うバンドが、4年くらいかな、続いてきたって言うのは、やっぱりどっかのその、非常に最初は、まあ俺がやろうとか、ある程度、騙した部分ってあったんだろうけども、え、やっぱり、すぐ切り換えて、みんながあの、じゃあ俺は絶対タイコで一生食うんだ、みたいな所が、やっぱり出てきた部分がね、非常に甲斐バンドって言うのは、長く続いてる感じがします。ええ。別に、自画自賛じゃなくて。ええ。そんな気がしてますね。 この、高円寺って言う街は、僕は非常に好きで、この頃、あのー、バンドと一緒に4人でえー、東京で住みだした訳ですが。えー、高円寺のね、あの、青梅街道沿いの、いわゆるマンションと言いますか、ちょっと、その辺の所に、6階かなんかに住みだしたんですが(笑)。それで、この頃って言うのは、一番あのー、今とは違った感じでね、酒を飲んでました。ええ。あのー、とにかく、いろんな人を知りたかったし、いろんなものを見たかったから。いつも出掛けて行っては、あのー、飲んで。それで、よく落ち込んでました。ええ。非常にやっぱり、壁と言う部分じゃなくてね、いろんな奴が、プロって言うのはおるなあと言う、非常に認識はものすごくあったね。あの頃ね。で、丁度、あのー、この頃って言うの、住みだして半年目ぐらいかな?吉田拓郎に会いまして。ペニーレインで。それでねー、あの、これは今でも、あのー何だっけ。ボーカルに、ガロのね、ガロのボーカルに会ったら、よく言うんだけども、ボーカルとね、パンダとね、俺と吉田拓郎と4人で飲んでたのかな。何か、まわりに知らない人が何人かいて、あ、風の大久保君もいたんじゃないかなと思うんだけども。それで、何か知らないけども、吉田拓郎と言い合いになりまして。で、僕がね、あのー、フォークを振り回して、向こうがはしを、はしって行っても、割りばしを、こう振り乱しながら、何か激論になりまして。それで、あれはもう、俺は酔ってたと思うんだけども、拓郎は、たぶんあの時酔ってなかったのかも知れないけども。パンダとボーカルが、その1対1ずつついて、やめろやめろって間に入ってね。止められた事を覚えています。はい。それで、じゃあねー、なんか言ってみんなに手を振って、えー、ペニーレインを出た瞬間にぶっ倒れて、意識不明になって。えー、家に無理矢理連れて行かれたと言うのがありました。ええ。あの頃でしょう、確か。うん。記憶にあんまりないけども。えー、懐かしいですね、高円寺と言う街。なんかこの歌を聴くと、ぴったし、何かこう、高円寺の何かちょっとダサい雰囲気の、非常に学生っぽい、えー街と言う、何かこう、しなやかな風が流れて行く感じが、非常にこれで感じ取れて、非常に好きな歌なんでありますが。 えー、矢野顕子の曲を聴いて貰います。「風太」 ♪「風太」矢野顕子 |
昔は、あのー、URCレコードとか、エレックレコード系のアーチストなんかを、よく聴いてたんだけども、その中でも特に、うーん、よく聴いてたのは、加川良で、えー、たぶん、この彼の歌の中でも、とっても凝縮された形で、素晴らしい曲なんじゃないかなと、えー、思うのを聴いて貰います。加川良、「こおろぎ」 ♪「こおろぎ」加川良 |
いろんな、あのー何かうーん、30代、たぶん今、31〜2、28〜9ぐらいの奴が、かなりいろんな意味で、主導権を握ってる所って言うのはあるんだけども、えー、急にね、あの、下に、30年代の若い人達が、急にワーっと何人か出てきまして。で、俺はいったいどこへ行こうかって言うのが、ちょうど甲斐よしひろの今の姿でありまして(笑)。えー、泉谷しげると一緒にジョイントやった時に、いろいろやっぱり考えさせる、させられる所があってね。俺達はやっぱりいろんな意味で、そのー、俺はね、俺はもう、越えなくちゃいけないなって言う事を、近頃、本当に思ってます。えー、泉谷も拓郎も陽水も、そうね、いっぱいいろんな、こうせつもいるけども、別な意味で、もう越えなくちゃダメだと、うん、思ってますね。えー、こういう曲を聴くと特に、何かポロっと思ったりします。泉谷しげる、「出船」 ♪「出船」泉谷しげる |
えー、いろんなあのー、ですね、えー、人と対談をまあやろうと思ってるんだけども、2週間やったんですよね。男の人と女の人と(笑)。名前を言いませんが。それで、対談って言うのは、近頃難しいなと、ものすごく何か2週目にして、非常に思いまして、人と会うっていうのはね、ものすごくやっぱり難しいと思うのね。で、何か自分のね、体調とものすごく関係するし、たとえば、俺みたいに何かこう、本音と、本音とたてまえのプラカードを交互に下げて、うまく生きれる人じゃ僕はないから。何か、本音ばっかり、バンバン、バンバン、変に言っちゃい過ぎると。えー、言う所があるので、そうですね、長谷川法世さんと会った時に、やっぱり非常につくづく思ったのはですね、昔あのー、四ッ谷の方の放送局でやってた時には、加藤和彦とか泉谷とか会って話した事があるのね。それでね、ディレクターと喧嘩になってね。あのー、俺はたとえば、俺が聞きたい部分って言うのを、果たしてラジオの中で、あ、ラジオを聞いてる人が、みんな聞きたがってるのかと言う話で言い合いになりまして。で、俺はあまりそんな事は考え、いや、もちろんラジオを聞いてるみんなの部分ってのも、もちろん俺も頭の中に入れて話したいんだけども、実際に対談する人となるとさ、ラジオの人も、聞きたい声とかさ、そういう、俺、聞きたい声なんて、うまく集約して聞けるほど、俺はインタビュアーじゃないからね。それだったら、プロのどっかのインタビューの人を連れてきて、えー、ボロボロ、ボロボロ出さした方がいいんじゃないかって言う事で言い合いになった事があったわけです。やっぱりね、あのー、いろんな、今ものすごくハガキ貰ってて、で、いろんな事をあの、考えながら、みんなから書いて貰ったハガキ読むとさ、あのー、あれも聞いてください、これも聞いて下さいっていうふうに書いてて、で、えー、大変、長谷川法世さんもよかったし、その前の、えー、女の人も、とってもよかったと。ね。風吹ジュンもとってもよかったと言う感じで、いっぱい書いてきてくれるわけね。で、俺はあのー、何かこう、もっとね、俺は個人的に対談したいわけ、すごい。それで、何か非常にその、エゴイスティックな男とね、素晴らしい対談を向かえて(笑)どうなるかと言う番組を、みんなに単純に聞いて貰った方が、非常にくったくなくていいんじゃないかなと言うふうに、えー、思ったりするわけですが。昔はほら、やっぱり全然怖くなかったからね。泉谷とか加藤和彦とか対談した時はもう、本当にもう、どうでもいい事ばっかりたくさん聞いてましたけども。このごろはちょっとあのー、別に全然丸くはなってはいませんが、えー、もうちょっと、みんなの声を反映して聞いた方がいいのかなと思ったりしてたんですが、全然聞いてません(笑)。もう、本当に。やっぱり俺は、いつまで経ってもきっとこうなんだろうし、その辺は変えられねえんじゃねえかなあと言うふうに思ったりするんですが。ただ、あの法世さんね、会った後に僕は落ち込みまして。やっぱりあのー、波長だけでものを言い合うっていうのはね、あのー、通じないって人はたくさんいるね。法世さんって、とってもね、ある、どっか常識人で、とっても素晴らしくて素敵な人で、で、俺が法世さんに会いたいって言う部分よりももっと、うちの湊って言うディレクターが、これ、お前の為になるって言う感じで会わしてくれたんだけども、やっぱり、どっか俺が落ち込まなくちゃいけない部分ってのは、非常に俺に対してどっか法世さんって言う部分が、ムチにね、ムチと言うか、石と言うか、なった部分で、近頃いろいろ人間の事をボロっと考えたりしてますが。 えー、せっかくギターがあるので1曲、えー歌ってみようかと思いますが。うーんとね、いろんな人生の事を考えてるわりには、こんな曲しかできないと言う(笑)。ここが、やっぱり、甲斐よしひろたるゆえんと言う感じで。えー、風吹ジュンの対談で、すごいハガキがたくさん来てて、えー、大体7割が、あんなに素敵な人だと思わなかったわって言うハガキで、えー、あとの2割が、えー甲斐よしひろは、もうすごいスケベで頭に来るって言うハガキで、あとの1割は、もうどうでもいいわ(笑)って言う感じで。そう言う割合で、大体来てたので、えー、へぇ〜、なんかちょっとさっき、ずっといろいろ読んでたんですが。うん。 ♪「風吹ジュンの唄」(生唄) ♪風に吹かれてやって来た少女♪ ♪風の中で舞い踊る少女♪ ♪風に吹かれて、きっといつか去ってゆく・・ジュン♪ はあ〜、やった。 |
♪「かくれましょう」吉田拓郎 |
|
やっぱり、短い曲を聴くなら、これが一番最高と言うのを。憂歌団。 ♪「 ? 」憂歌団 |
あまりあの、知らない事とか知らない人は、急にどんな所で、どんなきっかけで知りあえるって言うものがあるか、わかんないんだけども、このNHKの若いこだまって言うのに入って、少なくとも、この人1人って言うのは、この番組がきっかけで、たぶん知りあう事になるでしょうと言う感じの人を、今からかけます。友川かずきと言う人の曲なんだけども、俺はもう、今、この番組入る前にこの曲を聴いて、とってもあのー、素敵で、俺は今まで会うまでは、何か、変に方言で歌ってる、嫌らしい歌手だなと言うふうに俺は思ってた所があるんだけども、えー、考え方を変えます。やっぱり、いろんな人に知り合って、いろんな友達を今作りたいなと言う衝動に駆られてるのは、多分にこの人の歌を聴いたからじゃんじゃないかなと言うふうに思ってます。えー、酒をいつか一度飲みましょう、友川かずきさん。「冷蔵庫」 ♪「冷蔵庫」友川かずき |
これはおかしいね、何回聴いても。えー、どうして首にいっちゃうのかと言う(笑)。(冷蔵庫の中に首を入れて”冷たい〜”と叫んでる詞がある)あのー、オカルト趣味的な所が非常におかしい。えー、”完全にもらった”(歌詞)と言う言い方もとってもいいし。 あのー、これからねー、まあ、月に一回って言う感じで、いろんな特集をやって行きたいと思うんだけども、えー、来て貰った、あのー、出して貰ったハガキって言うのは、とってもあの、いい事ばっかり、やっぱり書いてない分もあるけどさ、いっぱい読んでます、とにかく、全部。えー、言いたい、俺に言いたい事を何かあれば是非、やっぱり書いて欲しいし、えー、いいハガキならば、是非とも読んで、使いたいと思ってます。えー、月に一度やる特集を、どんな特集がいいかね、今日はたとえば、こんなふうに、短い曲ばっかりの特集をやったんだけども、えー、そうですね、もう何でもいいですよ。長い曲の特集をやってくれとか、えー、果物の名前がついてる人とか、あー、曲とか、人の名前がついてる曲をやろうとか、そう言うのをどしどし書いて、えー、よこして下さい。えー、宛先を言います。うんっとね。郵便番号150番、えー、東京都渋谷区神南NHK若いこだま金曜日、甲斐よしひろの係りまで。ええ。えー、お便りの宛先と。是非、書いて欲しいと思ってます。 今日、何でこんな、わりとこう言う感じで、あのー、短い曲を俺はやったのかなーと言う事をちょっと考えてたんだけども、本当は、そんな深く考えてなかったのね、やる前まで。今、いろんな曲、あと1曲聴いて貰う、大体10曲ぐらいかな。11曲ぐらいか。その辺、全部聴いて貰ったんだけども、今どんどん聴いてるうちにね、やっぱり思ったことは、あのー、短い曲って言うのは、やっぱり偶発的に出てきたものが、かなり多いと思うのね。こう、思いつきと言うか、そう言う部分が非常に多いと思うわけ。やっぱりあのー、さっきもチラっと言ったんだけども、あの、凝縮されたものの言い方、言い切り方って言うのは、とってもやっぱり、人がそれを言っちゃうと言う事は、非常にすばらしい事だと思うし、ひょっとしたら、書いた本人とかね、言い切った本人って言うのは、あ、言っちゃったって所で、しまった、みたいな所で、ショックがあるのかも知れないんだけども、全然その、他人が聴く場合は、とってもやっぱり、その思いつきとか、偶発的な部分、凝縮された人生って言うか、言い方っていうのは、とってもすごいなと思ったりするわけです。あの、素敵だなと思ったりするし、歌ってのは、所詮、1行、ひとつ言いたい事を言いたいんだと言う部分でしか、曲、歌ってのは成り立ってないと思うんだけども。3番まで、1番、2番、3番まであって、3番でさえも、とってもすごいと言う歌ってのは、最初はひとつの思いつきなんだろうけども、なかなかその、3番までいろんな部分を、尾ひれをくっつけないと、そのニュアンスが伝わんない。で、こう言う感じで、今日かけたみたいな、短い曲って言うのは、もう、1行か2行で、もう、ビシっと伝わって、もう、他の言葉を入れれば、よけい、その、あの、薄くなると言うか、希薄になるって言うか、その、おそれがあるからね。あの、この短い感じで、みんな終わっちゃってる部分があるんじゃないかと思うんだけども。果たして、それほど、作ってる方が、えー、そんなにいろんな事を考えて作ってるかと言うと、たぶん、作ってないと思うんだけども(笑)。でもやっぱりあのー、こう言う、凝縮された歌のパターンって言うのは、俺はとってもすごいなと思うのね。こう言う短い歌って言うのは、歌謡曲にないじゃない、全く。だからやっぱり、これはいわゆる、60年代からずっと続いて来たね、まあ、フォークって言うか、ロックって言うか、ニューミュージックって言うか、その辺のパワーなんじゃないかと言うふうに、俺は思ったりするわけです。 えー、最後に、甲斐バンドの、たぶん、甲斐バンドで一番短い歌なんじゃないかと思うんだけども、それを聴いて、お別れになります。「ゆきずりの風」 ♪「ゆきずりの風」甲斐バンド |