若いこだま 1978年4月21日「翼あるものーSide A 」 |
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♪「グッドナイトベイビー」甲斐よしひろ |
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この曲は確か10年前に大ヒットした曲なんだけども、これは、ビルボードのHOT100にも、なぜか70何位から60何位で入ったと言う、恐るべき曲なんですね、これはね。えー、だいたい、日本ってのは、カバーバージョンって言うか、大ヒットした曲を誰かがまた後で歌うと言う、習慣的なものが、全くない国で、僕はそう言う所もまあ、このLPでやりたかったなと言う一因なんですね。まあ、そう言う所もって言うのが、他の要素ってのは後でくっちゃべるとして。 えー、次の曲を聴いて貰います。これは、A面の2曲目に入ってる曲なんだけども、森山と言う僕の福岡の時の友達が、これは、こいつは今も歌ってるんですが、そいつが作った曲で、俺にとっては初恋の色ってのは水色なんだけども、そいつにとっては、こういう色なんだそうです。「えんじ」。 |
♪「えんじ」甲斐よしひろ |
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BGM♪「テンダラーズ・ラブ」憂歌団 えー、今の「えんじ」と言うのは、これは仮歌で歌ったのを、歌詞2カ所くらい間違ってんだけども、非常にいい感じなので、もうそのまま歌ったんだけど、日本って言うのは、いろんな国で、いろんな変な所あるんだけども、歌詞間違ったまま入れるとか言うのも、あまりこう、禁じられてるような所があるので、これもちょっと逆らって見てみたいと言う所で入れたんですけど。 今、バックで、これ、流れてるのは、憂歌団の「テンダラーズ・ラブ」と言う恐ろしい、いい曲ですね。これはね。僕はあのー、ジャンゴライン・ハルトと言うジプシーのギタリストとかものすごい好きで、その意味合いで割と憂歌団が好きな所があって、この曲が、沖てる夫と言う恐るべき詩人がいて、この人が作ってるんですが、これをまたやったと、言う感じで、これは3曲目に入ってる、それをまた聴いて貰おうと思います。「10$の恋」 |
♪「10$の恋」甲斐よしひろ |
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えー、これは今あのー、憂歌団の前歌を聴いて貰ってわかったと思うんだけども、とにかく、このLPに関して言えば、これはまず遊びじゃないのね。これは、うん。遊びじゃない。えー、真剣に作りました、真面目に、僕は。それで、えー、とにかく、オリジナルって言うのは、甲斐バンドで俺はずっとやりたいし、やって行きたいと思ってるんだけども、ここでやってるのは、あのー、シンガー甲斐よしひろ、とにかく、まず歌いたい。ね。と言う、まず欲求があって、で、その為に、このLPを作ったんだけども、とにかく、シンガー甲斐よしひろって言うその区別と、甲斐バンドって言うその区別をはっきりする為に、レコード会社も違います。この辺は非常に契約上の問題はいろいろあって日本は、いろいろトラブった所なんだけども、えー、やれる事になりました。 あのー、この中に入れてる曲ってのは、まあ確かに大ヒットした曲、ヒットしなかった曲、いっぱいあるんだけども、僕は今まで甲斐バンドのオリジナルを作る上での、まあ、プロセス、あのー、課程みたいなものがありますね、そのーなんか、課程みたいなのを、この集めた曲で表したかった。どうして僕がオリジナルをまず作ろうと思ったかとか、オリジナルを作って行ってる途中に、こんな曲で俺は感じ、こんな曲で感じながら自分のオリジナルを作っていったんだみたいなのを、このLPを聴いて貰えれば、まあ、少しはわかるんじゃないかと、えー、思う訳です。えー、僕は、このLPの中に・・まあ、えー、人の曲ってのは10曲か11曲・・あ、10曲だ、入ってるんですが。えー、その心根みたいなものに僕は意味深く感動してて、えー、こういうものに刺激されて、僕は今まで歌ってきたし、生きてきたんだと言う事を感じて欲しいんですね。 えー、まあーあのー、今まで、ソロLPを出した人ってのはたくさんいて、NSPの天野君とか、チンペイとか、えー、で、これは少し、多少、非難めいた感じで、まあ言いたいのは、拓郎の「ぷらいべえと」と言うLPがあって、あれはまあ、拓郎は遊びで作ったんだろうけども、これは、俺がやってるのは、そう言う遊びじゃないと。えー、とにかく、人の、今まで作って歌ってヒットした曲を、新しい息吹をそそぎ込んで、俺はその上でまた、そのカバーバージョン、だけども、新しいものに仕上げたかったんだと言うことをわかって欲しいんだよね。これは、だけど、曲で感じて貰わなきゃ、僕はいくらこんな事言ってもしょうがない所はあるんですが。 えー、まあ、今までこういう、違うレコード会社で、たとえば、甲斐バンドと言うのがあって、そこは東芝EMIと言う所で契約してて、で、あの、ソロシンガー甲斐よしひろは、別なレコード会社で出すと言うのは、日本では今までなかったから、大変やっぱりもめた訳です。で、俺が言いたいのは、俺はそう言う、今まで甲斐バンドを一生懸命やってくれた人、聴いてくれた人の人間関係みたいなものを、非常に大事にしたいと思うんですが。えー、俺自身の部分、非常に欲求とかいろんなものがありますね、俺自身をまず俺は大事にしたいと思うし、こう言うLPを作った部分で、やっぱりある種の幅みたいなのができれば、俺はやっぱり大成功なんじゃないかと。やっぱり、僕等が生きていく上の、まあ、ちょっと難しい話になりますが、社会って言うものがあって、それはもう、非常にわかってるのね。俺が着てる服っていうのも、これは人が作ったと言う認識は僕はあって生きてるつもりですが、えー、人間関係も大事ですが、その人間関係で首を絞められて自分までつぶれちゃあ、しょうがないと。やっぱりここは非常に、冷たい言い方だけども思うし。えー、まあ、そんな感じでこのLPを作った訳です。 で、まあ、とにかく、これは、この中に入ってる、いろんな人達の歌、オリジナルって言うのは、あの、これは俺にとっては本当にこのタイトルになってるけども、翼あるものたち、なんだと言う事、わかって欲しいね。うん。欲しいな、うん。(テレ笑い) えー、そう言う感じで、次に聴いて貰う曲も、これは、この曲だけちょっと特別なんだよね。これは、非常に、新しい息吹を注ぎながらやったって言う感じじゃなくて、本当はね、この次に聴いて貰う曲をまず俺はレコードにしたいと思ったのが発端な訳ね。で、他の曲は全部、俺なりの新しい息吹ってのは、注ぎ込まれてると思うんだけども、えー、これは、ジャックスの早川義夫って人に負けるつもりで勝負をしました。「サルビアの花」 |
♪「サルビアの花」早川義夫 |
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早川義夫さん、お元気でしょうか。どうせこんな番組、あ、こんな番組(笑)ごめん。この番組、聴いてないだろうけど。あなたの、ラブゼネレーションを聴いたロックエイジは、強かに生きてますよ、ここに。うん。えー、俺のあのー、サーカス&サーカスって言う甲斐バンドの初めてのライブの中でも、「裏切りの季節」って言うのを歌ってるんだけども。ジャックスって言うのは、俺は日本で聴いて初めて泣いたバンドで、もういっぱい言いたい事があるんだけども、これほどなかなか言えないバンドもなくて、とにかく、あなたは、売れるって言う事に、ある部分ではひょっとしたら挫折してやめていったのかも知れないんだけども、甲斐バンドもしくは甲斐よしひろって言うのは、売れながら、あなたのポリシーみたいなのをしっかり掴んで、それを俺なりに消化して吐き出して行きたいなと言うふうに、これは、俺がオリジナルを作ったときから、きっと思ってる心根みたいなものなんじゃないかと思うんですが。えー、ジャックスを聴いたロックエイジは強かにねー、生きてますよ。まあ、伝説になる事へのアホらしさみたいなのをね、まあ、後で認められる事のつらさみたいのを、俺はすごい、これほど虚しい事はないと思うのね。歌い続けてる時にやっぱり認められたい。えー、やっぱりもちろん、いろんな事、いろんなつらい事、あるだろうけど、えー、ずっと歌う事よりも、まあ、これは先週も言ったんだけど、ずっと歌う事よりも、歌い続ける事の方がやっぱり大事だと思う訳です。説得ある歌で、その時期に売れなかったら、やっぱりもっとリフレインする感じで、いつも歌い続けりゃいい訳だし・・・。と、俺は思うのね。まあ、25才の若造ですが。ええ。俺は思います。だから、早川義夫って言う、偉大な人間が昔いたなぁと言うふうに、俺は言われたく・・・ないね。甲斐よしひろ、今も歌っててすごいとか、そう言う感じで、やっぱりいきたいと言うふうに思ってる。うん。えー、今、俺達のファンとか言う、その辺の年代の人達で、知らない人もたくさんいるだろうけども、ジャックスと言うすごいバンドが昔、いたんです。ええ。残念ですが・・。 えー、一生懸命俺が歌いました。「サルビアの花」 |
♪「サルビアの花」甲斐よしひろ | |||||||
えー、「サルビアの花」を聴いてもらいました。あのー、これはずーっとね、ここ何年も思ってた事をやっと言えたのね。今ね。このジャックスについての思いみたいなものを。だから、非常にあのー、自分で落ち込んでて。落ち込みましたなー、急に。何か知らないけど。うん。やっと言えたと言う感じで。だけど、そうなんだよね、うん。ま、言った通りの事なんですが。 えー、ナッシュビルの話をちらっとしましょうか。えー、あの、1月のね9日から25日まで行ったって、さっき触れたんだけど、まの、行ったときはね、もう、十何年ぶりくらいの大雪で、すごいのね。もう、めっちゃくちゃ大雪で。えー、16日間くらいいたんですが、全部雪で。最後の日だけやっと解けて帰ったと言う、恐ろしい感じだったんですが。えー、富澤一誠と言う評論家と、吉見佑子と言う評論家の方と。方と(笑)行きまして(笑)。それで、まあ、みんな、スタッフとかいろいろ行ったんですが、えー、何て言うか、途中、あのね、僕等が泊まったホテルのね、となりでね、何だっけあれは。何か博物館みたいな所があって、博物館って言うかね。そこでねー、あのー、エルビス・プレスリーのね、彼が死ぬまで乗っていたと言う、ロールスロイスが飾ってあって、もう、恐ろしい成金趣味なのね、あいつはね。それで、あのー。コーヒーも飲めるし、レコードも聴けるし、もちろん寝るし。なんだっけ、こう・・あ、テレビもついてるし。もう、いっぱいついてて。それで、一番成金趣味で、俺はこう言うふうに売れてもなりたくないと思ったのは、屋根が開くのね。それで、開いたらね、今まで出したと言うゴールドレコードが全部飾ってあって。ほら、知らない田舎なんか行くと、”俺はプレスリーだ。見ろ”って言う感じで、スイッチ押すと、ガーっと屋根が開くと言う、すごい車が飾ってあったんですが。 えー、富澤一誠と言う、これもまた変な人と一緒に行ったので、この人がまたねー、ロサンゼルスの寿司屋でね、すごいんだよ。あのー、普通は寿司屋の板前さんって言うのは、もちろん日本人ですが、外国でも。なかなか文句言ったりしないんだけども、あのー、まぐろをね頼んだんだよね、まぐろを。それでね、まぐろの握りを、うまいうまいって言って、みんなで食っててね。そしたら一誠が急にね、これは・・・まぐろ一丁ってパッて来るでしょ?身が。これは、女そのものなんじゃないかと、ちょっと急にあいつが言ってね。それで、いちいち、タコ頼んだらタコを見てどうのこうの。女そのものの話をするのね。あれはちょっと恐怖の一瞬だったんですが。
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昔、セイヤングと言う番組で1年間喋ったときは、非常に言いたい事だけ言うという、マスターベーションっぽい喋りだったので、そろそろもう25才になったので、押さえた喋りもできなくちゃいけないんじゃないかとやっと思えてきてる所です。ええ。来週も、押さえた喋りを期待してください。(笑)みんな、しっかり寝てね。おやすみなさい。 |